~株式会社宣伝会議 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成した記事を数回にわけて掲載します。音楽が好きな方、音楽業界に興味のある方などなど、楽しんでいただけたら幸いです~
音楽業界が不調と言われて久しいが、それでもCDショップは存在し、変わらず音楽を愛し通い続ける人達がいる。そこで私達が選び取る商品は実はすでに選ばれたものであると意識したことがあるだろうか。ショップに並ぶ商品を選ぶバイヤー等〝良い音楽を届ける仕事〟に長年従事し続ける行達也(ユキタツヤ)さんに、仕事内容と共に過去とこれからの音楽事情について伺った。
行達也(ユキタツヤ)さん
タワーレコード株式会社ディストリビューション&レーベル事業本部 レーベル事業部に所属。
過去にタワーレコード心斎橋店と新宿店にてバイヤーを経験。その後下北沢モナレコード店長、CDショップ大賞実行委員長など経て現在に至る。
過去にタワーレコード心斎橋店と新宿店にてバイヤーを経験。その後下北沢モナレコード店長、CDショップ大賞実行委員長など経て現在に至る。
このブログで過去にオススメしているユメオチとルルルルズというバンドのリーダーでもあった。
ツアー先では必ずパン屋を訪れていたパン好き。
ツアー先では必ずパン屋を訪れていたパン好き。
最近はザ・なつやすみバンドやceroに参加するMC.Sirafuさんとタワーレコードの生放送チャンネルでインディーズ発信番組「塔台モトクロス」を開始。同時に2人でレーベル「illumination」を立ち上げた。音源募集中。
「ディスクガイドと呼ばれる音楽紹介誌がすごく売れていて、それを手にみんな中古屋を回っていた時代。当然そうやってCDやレコードは勢いがあったし、インターネットが無かったから新譜の情報もショップにいかないと手に入らなかった。当時は今のCDのショップよりももっとワクワクする所でしたね」
―それはどのくらい売れたのですか?
革命児ピチカート・ファイヴ CD屋が元気だった90年台
行達也さんは90年代初頭にタワーレコードのバイヤーとなったことから始まり、様々な〝私達へ良い音楽を届ける仕事〟に従事してきた。幼い頃から洋邦楽問わず様々な音楽に触れてきたが、もっとも衝撃を受け、敬愛するアーティストとして90年台に「渋谷系」を牽引していたピチカート・ファイヴを挙げる。
「大学を卒業するかしないかの頃に女性上位時代というアルバムが出たのですが、海外で流行り始めていたサンプリング(他の曲の一部を引用すること)を用いる手法を、ピチカート・ファイヴもそのアルバムで取り入れていてかなり衝撃的でした。それから昔の音楽を掘り起こし引用することが流行りになって、それが渋谷系と呼ばれるものになりました。そのような変化がたくさん楽しめて90年台はすごく面白かったんです。一番良かったことはサンプリングの元ネタをきっかけにポップスのフィールドが広がったことかな」
―市場がそれを受け入れていた時代でもあったのでしょうか?

オーダー、発注、警察署
そのように音楽業界がとても元気だった90年代初頭に、20台半ばの行さんはタワーレコードのバイヤーとなった。全国に店舗を展開する大手CDショップチェーンであるタワーレコードは、ヒットチャートに現れる商品ばかりではない幅広い品揃えを特徴としており、音楽マニアに愛されている。
とはいえ、大学卒業後はなんとなく画材屋に就職していた。その間に結婚。営業に行くのが辛くなってきた頃に妻から何気なくタワーレコードの求人記事を見せられ、応募した。
「画材屋嫌だなくらいのうす~い理由で。でも音楽は好きだったから」
バイヤーの仕事はとても地味だという。バイヤー(buyer)の名の通り、まず新譜のオーダー。過去の実績を見ながら見積もり、オーダーする。そして発売すると、売れ行きを見ながら追加オーダーをかける。棚を補充する。そして接客。クレーム対応も行ない、万引きが発生した際は警察署へ同行することもあったという。
「何の仕事してるんだって感じだよね(笑)。ちなみに最近はCDが売れなくなってきているので在庫コントロールが難しくなってきているという課題があるようです」
―当時、売れているCDは何枚ほど仕入れていたのですか?
「直前のシングルでブレイクしたアーティストの2ndアルバムの場合は、約5,000枚も仕入れてちゃんと全部売れましたよ」
―近年は10万枚売れるとヒットと言われるので、一つの店で初動5,000枚となると大変な数ですね。驚きます。
空気公団が好きすぎて全国シェアの9割も仕入れちゃった
発売前のサンプル盤を聞くことができ、音楽好きにとってはお得な仕事であるバイヤー。試聴してみて良いと思ったものは多くオーダーし、沢山のお客さんに届くように売り場の飾り付け等の展開も考える。それがバイヤーの醍醐味と語る。
「特にインディーズの1枚目の場合は実績が無いから、バイヤーが聴いて判断しなくてはならない。売れてもボーナス等は無いけど、そこをしっかりしておくと後々良かったりします。渋谷系が一段落してきた90年台後半くらいに、クラムボンとか、キリンジ、サニーデイのようなポップス系の良い人達が出てきて、好きだったのでかなりプッシュしていたのですが、そのおかげでその後色々つながりが持てたというところもあるので。仕事の中で10%くらいのことではあるんだけど、それがあるからなんとかやっていられました。そこで他の店との差別化も図れるし、お客さんもタワーにそれを求めていたと思います。新宿の頃、空気公団がメジャーデビューした時があって、普通に考えたらイニシャル100枚くらいでしょうというところを相当好きだったんで1,000枚くらい仕入れちゃったときがありました。全国の中のシェア9割がタワー新宿店じゃないかってくらい。笑」
「それはもう全部!!」
ちゃんと稼がないと…と思いました
そのように新宿店の大らかな店長のもとのびのびと職務を全うしていた行さんだが、バイヤー9年目にして退職を決意するのだった。しかし、そこに思いがけない展開が待ち受けていた…
「メジャーな物を売りながら、その余力でインディーズの良いものをプッシュして売っていくということにやりがいはありました。しかし、万引き対応とかをやっていると俺何やってるんだろうって思ったり、仕入れをするのも別に俺じゃなくてもいいんじゃないかなって思えてきた。そして独立しようと思いました。収入が減ったりすることに対してはあまり深刻に考えていなかったんだけど、辞表を出して一週間後に嫁から子供ができたって言われて…ちゃんと稼がないと、と思いました」
つづく次回はモナレコード編です!こちら。
CDショップ店長とはどのような仕事なのでしょうか?そしてなぜカフェスタイルのCDショップが下北沢に生まれたのでしょうか?
今回の音楽!
(´-`).。oO(行さんのお話を伺って買ってみた「女性上位時代」、衝撃的でした)
その1 タワーレコードバイヤー編
その2 モナレコード店長編
番外編 CDショップ大賞について語る
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