「劇場版ポケットモンスター ココ」ネタバレなし感想殴り書き

素晴らしい映画でした。シアターを出たら子供がトイレで四つ足ココ走りしていたのいいなーと思ったけど今それはマジでダメだよ!!

140字では書けないけど温度感は140字で書くような内容の殴り書き。

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人間の赤ん坊を拾ってしまったポケモン:ザルードは、他のものを入れてはいけないというザルードの掟に背いて群れを離れ10歳くらいまでポケモンとして育てる。そしてココは年が近いサトシとピカチュウに出会いニンゲンを知る。俺はニンゲンっていうんだな!?じゃあ本当の親はどこに…?という導入、でしょうか


人外が人間の子供を育てるストーリーはよく見られるものですが、ポケモンだからこその話になっていたような気がします。

ポケモンとは何か?人間とは何か?「わざ」とは何か?人間とポケモンの違いはあるのか?

事件の部分の描き方はもっとポケモンらしいものがあったんじゃないかなとは思います。それ以外は満点超え!!!ポケモンファンが安心と信頼を寄せる岡崎体育さんワークスもとても素晴らしかった。なんでお父さん目線、お母さん目線の詞が書けるの!?って思わずにはいられません。岡崎さんの曲をまとめた主題歌集あります。1作で何曲もある!

今年はこの作品に全身全霊を注いだので紅白は来年出ます!と仰っていました。


「わざ」って何なんすかね。ミュウツーの逆襲のあのコピーとの殴り合いのシーンは「わざ」を使わない生き物同士の殴り合いとジョーイさんだかが説明していました。それは「はたく」とか「かみつく」でもないんですか?どうやら違うらしくて。

近年のポケモンでは「かみつく」を使うときは自分のキバではなく口の前にゲームと同じようにキバ状のなにかが出てきて噛みついていました。変な表現ですが「わざ」とそうでないただのかみつきをできるだけ区別しているみたいですね。ポケモンだけが放つことができる特別なものみたいです。



セレビィは「幻のポケモン」としての描き方でしたね。いや、主役のザルードも幻のポケモンなんだけども。今までのセレビィの描き方とはかなり違うものだったんじゃないでしょうか。(ゾロアークの映画は見てない…)

直近のポケモン映画では、ゲーム連動のビジネス的な側面も持つ新しい幻のポケモンのほかにはホウオウ、ルギア、そしてセレビィが登場。後の2作は矢島監督ですね。矢島監督はポケモン世代、ということで金銀世代のこのポケモンには特別な想いを持っていそうです。

前作「みんなの物語」に続く矢島作品の好き嫌いが分かれる要素として、人間の心にフィーチャーしている箇所とか、ものすごく現代的な世界観があるかと思います。(矢島監督のテレビシリーズであったXYはそこまでではない。劇場版として見てもらうものとして深く考えて作られていると思います)
しかし、これは我々のような特に深いポケモン世代においてはポケモンはファンタジーの世界に収まらない、ふしぎなふしぎな生きものになってしまっているから、だと思いました。なんてったって街中にバァァアンって出てきてボール投げて捕まえて、一緒に歩いてますからね。名探偵ピカチュウ含めて、ポケモンがいる生活というものをどう捉えているかで見え方が変わる作品なのだと思います。


山ちゃんはもう山ちゃんじゃなきゃこんな役やれないよ!っていう役でしたね…


親ってなんだ?子供ってなんだ?という普遍的なテーマをポケモンってなんだ?という要素でさらに分厚く表現した作品だったと思います。

冬は、ココ泣き!!


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